進路、というものは多くの人の場合、【現状なりたいものが明確に決まっていないから、その先の選択肢をより多く選べるところに】と考える人間が多いことでしょう。
実際に私も同じような考え方でした。特別に夢があるわけでもなく、やりたいことが決まっているわけでもなく、自分がいける最大限の学力上限の進路へ、というタイプでした。
その進学先に【自分の考え】があったのか、一番重要なのはこの部分だと思いますが。
さて「第3回丸一塾のアノ人は今」の時間がやってきました。
今回はごく少数側の人間と久々の再会をしました。ごく少数、それは【なりたいものが明確に決まっていた人間】です。
・それではどうぞ。
『埼玉県立常盤高等学校で、首席の喜多山陽(みなみ)です。かずきさん久しぶり~』
常盤高等学校は、埼玉県内で唯一の5年一貫の看護師養成専門高校です。
近年、文部科学省からSPH(スーパー・プロフェッショナル・スクール)に指定され、大学への編入も可能となった、職業に直結する学校の1つです。
そんな場所を進学先として選んだみなみは、丸一塾を代表するパワー溢れる代のうちの1人。今では恒例となっている学校行事への参加や応援は、もとはといえば、この代の子たちから始まったものでした。
そして中学生の時から【看護師になる】という夢を持っていた子でもありました。
・久しぶりだねみなみ。学校はどう?首席ってことは学年でトップ?
『トップだよ(笑)今は常盤の看護専攻科の2年目で、次の年から女子栄養大学への編入が決まりました。成績優秀なんで、すんなり決まったよ(笑)実は夏前の段階で内定先も決まってたんだけどね』
・常盤だと5年生だから就職するんだと思ってたよ。大学編入を決めた理由は?
『常盤高校の認可枠がかわって、大学への編入がOKになったんだよね。学校側も編入する方向をけっこう進める形になってて、自分の進路としても大学にいった方がいいかなあ、と思って。現実的な話、給料も選べる就職先もかわってくるからね』
・現状、看護師になるって夢は変わらず?
『今でもかわらないよ。でも学校の保健医も悪くないかなって思ってる。大学編入することでその選択もできるようになるから、今すぐ決断ってよりも、もっと学んだうえで決定したいかな。どちらにせよ、資格はちゃんと取る予定だからのちのちに看護師になることもあるだろうし』
・私の入院の見舞いにもきてくれたよね(笑)なんも面白くないよ?って言ったのに、あなたは「看護師の動きみてるだけで楽しいから」って。
『懐かしいー。かずきさんがっつり管つながれてたよね。あの時は憧れとかもあったからかな。今は実習を通して楽しいだけじゃないことも学んだよ。大変だなって思うことも多々。でもやりたくないとかは思ってない。他の選択肢も踏まえて、最終的に自分が納得できるものになりたいと思ってるよ』
そうなんです。ワタクシ、入院回数と手術回数はなかなかのもの。全身麻酔の手術は7回もやられちゃってます。おかげで高校の修学旅行も不参加。センター試験の1週間前まで入院していたこともありました。大事なものをいろいろなくし、かわりに得たものもありました。そんな懐かしい話はいずれまた。
・ちょいと昔話。中学のころ、体育祭やら合唱祭やら講師が見に行ってたけれど、どう思った?
『誘ったのが私やなかむら(写真右の女の子。彼女もいずれこのブログに出てくれるでしょう)だったからね。
実際に来てくれた時はなんだかんだ嬉しかったよ。単に仕事で勉強を教えるだけの人って感じじゃなかったし。
当時はかずきさんも陵くん(代表)も髪染めてて、なかむーにいたってはすごいアッシュな色で、学校の先生に「あんなのが塾の先生なんて世も末だ」って言われたのはよく覚えているよ。でもあの時の代のみんなは全員、学校の先生より格段に教えるのうまいからって反発してた(笑)見た目で差別するなって言ってる人間が、一番自分から遠い人間を差別してるよね。
それに保護者としゃべってる姿とかも、他の塾なんかと違って子ども側から見えることが多かったから、見た目どうこう関係なく、ちゃんとした社会人なんだなって認識してたよ。今も見た目はあの頃と全くかわらなくていいよね』
・お褒めの言葉、ありがとう。最後に、塾があった生活はどうでした?
『高校のときは週1.2で、中学3年のときはほぼ毎日塾だったからもはや家みたいなものだった。勉強は面倒だって思うこともあったけれど、塾は行くのが当たり前だったから面倒とか辛いとかはなかったよ。ちょいちょいかずきさんに鬼みたいに宿題出されるのを除けばね(笑)
私の中では第2の家みたいな空間だったかな。自分の進路の背中も押してもらえたし、今でもこうしてかずきさんたちと関係が続いてることが何よりもよかったと思えることです』
中学時代、とても手を焼いた世代でした。そんな世代の中で、あまり講師に対してキツイ言葉を言わない、心優しい塾生でした(他の人たちは口が悪くて…)
今も、これからも、心のやさしさを忘れずにそのままいかしてほしい、そしてそんな誇れる塾生の人生の一部に関われたことが、この塾の誇りですね。
こんなところで、今回はおしまいです。
次回の登場は誰になるのでしょうか。
これを読んだ卒塾生たち。年末年始、帰ってきている方々、ぜひお声がけしてください。
ご応募をお待ちしております。