17回手術男の話。その2。
恐らく平均的人間が一生で経験する回数を大幅にこえているワタクシ。
医学の進歩がなければ、いまごろお陀仏でしょう。
今回は初の頭の手術でしたが、残りの16回は全て「肺気胸」による手術です。
嵐の相葉さん、ナイナイの矢部さん、BUMP OF CHIKENの藤原さん、そして高校の同級生の佐藤健くんと、胸板のほそめな方たちがなりやすい病気です。通称イケメン病。え?丸一塾の例のあのお方もその部類?
ワタクシはと言いますと、初めての肺気胸での入院が中学1年から2年にかけての春休み。
3月26日という日付まで覚えています。
実は、発症自体は1月ぐらいには起こしていました。ただ、ワタクシが育った環境は「病気で休むなんてたるんでる証拠だ!」という非合理なおうちでして、学校を休むなんて言い出せませんでした。
塾でもちょくちょくお話していますが、ワタクシの育った環境はちょっとアレでして、ね。
厳しくされたことで良かったことも多いですが、ね。その話はおおやけには出来ません(笑)
我慢して学校に行き、ランニングをさぼり、サッカーの授業にキーパーで参加していました。
あまりにも長い間調子が悪そうだったので、春休みだし1回医者に診てもらったら、というお言葉をようやく保護者様からもらえたので医者に行ったところ、お医者さん怒ってましたね。
『なぜ、もっとはやく診療にこないのか』と。
すぐに別の大きい病院にうつされ、その日のうちに肺にチューブをいれる手術を受け、即日入院させられました。
その後は自然治癒、という形で全身麻酔での手術は回避しました。
理由は怖かったから。当時は怖かったんです、手術が。
1年後の3月26日の14歳のとき、再度発症して、この時はもう全身麻酔での手術を回避できませんでした。この時以降の発症は全て入院時の手術と、全身麻酔の手術がセットでくっついてきます。
2年半後の高校2年生の秋、中間テスト中に3回目の発症。
我慢してテストを全て受け終わってから、病院にいきました。
この時の発症のせいで高校の修学旅行には行けませんでした。
手術とか(笑)みたいな精神状態になりました。
治癒後、2か月足らずでまた発症。4回目。
期末テストは一時的に退院してチューブをぶらさげながら受けました。
クリスマスに退院。年齢がほぼかわらない看護学校の実習生にクリスマスソングを歌われるという残念イベントを経験しました。
3~4回目の間に、学校の英語の授業で「修学旅行のことについて英語でスピーチをする」という授業がありました。
友達が気を遣ってワタクシに触れないようにしてくれて、教室のすみの机に突っ伏していました。すると、それをわざわざ見つけてくれた英語教師から怒鳴られ、ワタクシが何も言わずに無言でいたところ、胸倉をつかまれるという出来事がありました。
思わず胸倉をつかみ返して、さあ大変。
あなた、ワタクシがなぜ何もしゃべれないのか知っていたくせに。
この日以降、嫌いな人間に対しては徹底して心を開かないようになりました。英語の成績は、大変悲惨なものになりました。
自分が「先生」と呼ばれたくない理由の1つですね。こんな人間と同じくくりにはなりたくないですから。
3か月後の、高校3年生の新学期初日。5回目。
「俺、明日から入院だけどみんなよろしくね」というセリフを残して入院しました。
6回目は19歳の12月。
実習生から2度目のクリスマスソングプレゼント。
7回目、21歳の2月。
誕生日に退院すること1回目。
8回目、25歳2月。雪山にて発症。
忘れたころにやってくる。手術後の治りが悪く、入退院を繰り返す。
この時の丸一塾の卒塾旅行不参加。
そして今回が9回目。誕生日に退院すること2回目。
細かくみていけばいろいろと面白い話があるんですが、それはまあおいておきましょう。
肺気胸の発症が13歳というのは、かなり稀なことなのですが、大人と同じ病棟に入ることになりました。
さてここで、みなさんは入院生活というものについて、どのようなイメージがありますでしょうか。
ドラマや漫画であるようなのほほんとしたもの?かわいい看護師がいる的な?
はっきりと申し上げます。
地獄です。
次回『老人国ニッポンの医療現場のホントのところ』です。