自分の人生の主役は自分。

2019/04/15
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前回のあらすじ

 

やめて!ただでさえ授業で教えられる内容なんて限りがあるのに、その上生きがいの質問対応の時間まで奪われたら中村のやる気が燃え尽きちゃう!

お願い辞めないで中村!あんたが今ここで辞めたら、某大学を蹴ってまで文教大学の教育学部に進学した意義はどうなっちゃうの!?

希望はまだ残ってる。ここを耐えれば、教員を続けられるんだから!

 

次回「中村、辞す」 デュエルスタンバイ!

 

 

 

 

 

ということで、今回は予告通り

「中村が教員の職を辞し、丸一塾に戻ってきた理由(後編)」

です。

 

 

 

前回のブログで書いたように、私は毎日昼休みと放課後の時間に質問対応をしていました。

命をかけていた、というと少し大げさではありますが

本当にそれくらいの熱意を持って対応していました。

 

 

というのも、私が「質問対応をしよう!」と思うに至った出来事があるんですよ。

そしてその出来事が、教員を辞すことを決めた要因でもあります。

 

 

 

 

ある日、生徒が授業中にこう口にしました。

 

「うーん、ここよく分からないから塾の先生に聞こうっと。」

 

何気ないこの一言、私はすごくショックでした。

 

わかりにくい授業をしてしまったことに対してではありません。

分からない問題に出会ったとき、生徒が一番に頼る人間が

学校の先生である自分ではなく、塾の先生であったことにです。

 

 

 

ただ現状をみれば、この生徒は至極当然の考え方をしているんですよ。

 

 

 

公立の学校には、国で定められたカリキュラムがあるので

大幅に授業の進度を遅らせることはできません。

 

 

だからクラスの誰かがどこかでつまずいたとしても

そこで立ち止まってあげることはできないんです。

 

 

授業外で対応しようとしても、授業間の休み時間10分では対応しきれない。

放課後は部活を見なければいけないから教室に留まっていられない。

また、部活が終わる時間=完全下校時刻 ですから

それ以降の時間は、生徒たちは学校に留まることすら許されない。

 

 

 

そんな状況ですから、生徒が授業内での疑問を解決する場は

塾がメインになっていました。そりゃそうですよ。

こちらがどれだけ「常に生徒のことを考えている」と口にしていても

実際に助けてあげる時間がないのですから。

そりゃ塾の先生を頼りますよね。当たり前ですよ。

 

 

 

 

でも私はそれを受け入れられませんでした。

 

 

どうにかして自分の手で、自分の力でその疑問を解決してあげたい。

分からなかった箇所が分かるようになる喜びを感じてほしい。

何かを知るってことがどれだけ面白いことか知ってほしい。

 

 

そんな思いが爆発した結果の、あの質問対応だったのです。

 

 

 

他の先生たちからは白い目でみられていたかもしれませんが

1度きりの人生、その人生の主役は自分ですから

やりたいようにやってやろうと思ったんです。

 

 

ただ、今年は良くても1年後、2年後、もっと先のことを考えたときに

質問対応を続けるのは難しいだろうな、とも思いました。

 

 

次の年は担任を持つことになるかもしれない。

主顧問で部活動を持つことになるかもしれない。

学校行事の責任者になるかもしれない

 

 

様々なことを考えたときに

「自分が本当にやりたいことをするのに、学校という場は合っていない」

という結論に至りました。

そして同時に

「生徒をとことんまでみてあげられる、丸一塾に戻りたい」

とも思うようになっていました。

 

 

そうなってからは早かったです。

まずは廣田塾長に連絡を取り、塾でもう一度働かせてほしい旨を伝えました。

そして学校では管理職の先生がたに、今年度いっぱいで辞めることを伝え、

昨年の3月で短かった教員生活に幕を下ろしました。

 

 

 

以上が、中村がずっと夢だった教員を辞し、この塾に戻ってきた理由です。

だいぶ長くなってしまいましたね。。

 

 

 

どうです?前向きだったでしょう?(笑)

そんなわけですから、丸一塾生たちはもっと

質問を持ってきなさい!!!!!

 

 

私は性格がほんの少し歪んでいるので

わざとめんどくさそうな顔をしたりすることもありますが

内心はめちゃくちゃに喜んでいますからね(笑)

 

 

この投稿以降、質問にくる生徒が増えることを願って

今月はドロンです。ではまた来月。