6月という鬱陶しい時期に突入しました。
雨降りの隙間をうかがって犬の散歩に行っている田中です。
さて今回は多様性ってやつと、右脳左脳関連の話でもしようかと思います。
以前、右脳左脳に関してブログでも少し書かせてもらいました。
一芸に秀でる者は多芸に通ず?
https://maruichi-juku.jp/blog/column/20210602-1079/
世の中でも定期的にコレ系は話題になるのですが、「うさうさ脳タイプの診断法」というものをご存知でしょうか?
http://www.nimaigai.com/pc/usausa/shindan/index.php?method=step3
私はと言いますと、そりゃもう完璧な「うう男」でした。
うう男
http://www.nimaigai.com/pc/usausa/shindan/index.php?result=2
こちらURLから自分の診断結果が見れますので気になる方はどうぞ。
小さい頃から全てにおいて左利きで、この類はやる前から「どうせ右脳派っていう結果がでるんだろ」と思っているのですが、結果その通りでしたね。
幼稚園時代、簡易的な絵や線をなぞる課題をものの見事に全て反対に書いてやり直しを命じられ、何が間違いなのか本当にわからなくて泣いた過去があります。
ひらがなも全部鏡文字で覚えてるというとんでもない間違いをおかしてきた左利き右脳キッズでした。
至って真面目に、それが正しいものとしてやってたんですよね。
今でもひらがなの鏡文字や、テキストを反対から見て解いたり数字を逆から書いたりするのは得意ですよ。個別対応で私とやり取りをしたことがある塾生は、逆から数字を書いている私を見ていると思います。
「普通」の人だと難しいみたいですね。
ただし左利きゆえに、「普通」であれば両親から(母親が相対的には多いでしょうね)教えてもらえるはずの箸の持ち方は教えてもらえませんでした。また字が上手な母親にもかかわらず、私に習字関連は教えてくれませんでした。
理由は「左利きで教えるのめんどくさかった。」だそうです。
世の中の「親」がつく方々、子どもは小さなころに言われたショッキングな出来事は一生根に持ちますので気を付けましょう(笑)
ひと昔前、さらには戦前の世代だと左利きは矯正されて右利きになおされる頃もありました。
私は左利きが隔世遺伝していて、祖母は「ぎっちょ」(別に何も思わないんですけど、現代だと差別的な表現としてNG)が遺伝したことで可哀そうだ、自分が悪い、とか言ってましたね。
1度だけ矯正しようと親が試みたそうですが、とんでもない金切り声あげたのを聞いて断念したようです。危うく個性を殺されてしまうところでした。
ただ右じゃないと不便なことは実際多いんですよ。
世の中は多数派で作られていますから、少数派は不便を強いられる。
スポーツだとその点が優位に働くこともありますが、総合的に見ればストレスが多くて早死に率が高いそうですね。
現代では多様性という言葉によって、今まで常識とされてきたものがどんどん直されています。
左利き矯正なんていう常識は、今ではほぼなくなっていますね。
矯正しちゃうと個性だけでなく、過度なストレスを与えられてしまうことで脳の成長における独創性も失われるという研究結果が出ています。
そういった今までの間違ったものは、どんどん正されるべきでしょう。
しかしながら「全て」が間違いなのか、というとそれは違います。
多様性を認めることと、何もかも自由だ、ということは別次元のお話です。
「多様性によって切り捨てられるものもまた多様性」ということを念頭においておいた方がいいかと思います。
次回はそれにまつわることで、「しつけ」について思っていることをぶっちゃけようと思います。
それではまた。