塗り替え

2022/07/04
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7月になりました。

 

 

 

前回のブログの通り、「しつけ」について個人的に思っていることをぶっちゃけようと思います。

 

あくまでもこれは個人的に思っていることであって、実際にそれを塾全体の意思とは受け取らないでください。

私個人が心の中で思っていることを社会で制限なく表現したらこの世から追放されるでしょう(笑)

 

 

 

 

 

 

10年以上、丸一塾に携わってきて、多くの塾生とたくさんのコミュニケーションをとってやってきました。ここ2年はコロナ禍で丸一塾特有ともいうべきスタイルを完全に行うことはできませんでしたが、それでも可能な限りの方法でやってきたと思います。

 

 

 

他塾や大手予備校と色の違いを出すため、その点に関してはどこよりも秀でている塾を廣田代表が作り上げてきました。

私はその隣でずっとおふざけしているだけですが(笑)

 

 

 

様々なコミュニケーションをとる中で、どのような「しつけ」をされてきたのかも、いろいろと見させていただきました。

 

 

 

私個人が親からされてきた「しつけ」をもとに、他者と比較し、抱いている感想としては、「皆さん本当に優しいですね」という感想しか抱きません。

 

 

 

食べ物の好き嫌いをしても許されている、天気が悪いと塾や学校へ送り迎えをしてもらえる、スマホやゲームを与えられている、塾を含めた習い事関連で休んでもいい、などなど。

探せばキリがないのでこのあたりにしておきますが、皆さん総じて「自由」というものをこどもに与えている幅がひろいと感じます。

 

 

 

「自由」というものをより強調した時代になっているからでもあるでしょう。

 

 

 

生き方においても「自由」が許され、そしてその「自由」は他者から侵害されるものではない、という風潮みたいなものが反映されているのかと。

 

 

 

 

 

好き嫌いしたらぶっ飛ばす、食べるの遅かったらぶっ飛ばす。

台風だろうが洪水だろうがどこへでも自分で行け(これはむしろ望んで自転車で移動していましたね)

スマホ(携帯)は約束破ってぶん投げられる(妹が)

習い事休んだらぶっ飛ばす(これは昔、サボったのがばれてぶっ飛ばされました)

 

 

これだけなら家庭内でおさまってますが、遊びで悪さしてやらかした日には友達のお母さんにぶっ飛ばされて、さらにそれが自分の親にばれてぶっとばされる、なんてのもありましたね。

 

 

 

理不尽な暴力はなくして当然です。機嫌が悪くてぶっ飛ばされるとか怒鳴られるとか、子どもを何だと思ってるんでしょうかね。全部やられてきたんですけど。

 

 

 

しかしながら、他人に迷惑をかけた場合はどうなのか。

言葉でわかるようなら、そもそもぶっ飛ばされる前にそんなことをしないでしょう。

言葉でわからないから迷惑をかけるようなことをしてきたと思います。

前提としては、言葉でわかるように育てないといけないんですけどね。

 

 

 

 

最近、保育士の友人姉との話で、「いつになったらトイレトレーニングしてくれるんですか」なんていう親御さんがいたそうです。

 

粗相すら他人に任せようとする世界なんですね、今は。

 

 

 

 

一方で中学校や高校になると、過剰なまでに神経質に教員と生徒を接触させないような指導が入っています。

 

 

 

家庭内でトイレすらしつけてもらえなかった子が、小・中・高とだれからも「触れられない」ように育った場合、どんな怪物が仕上がるのでしょうか?

 

 

 

当然ながら同じ共同体の中でも距離を取られ(昔のようにいじめで潰すようなことは減っていますが)孤独へと向かっていきます。

 

 

 

人間は共同体があることを前提として生きています。孤独はすなわち「死」です。

 

 

 

生物は親が死に、そのあとに子が死ぬのが定めです。

孤独はその順番すら変えてしまいます。

 

 

 

共同体の中で当たり前のルール、当たり前の勉強を教わるのが義務教育期間です。

当たり前を増やしていくのが義務教育です。

ルールを学ぶためにある「しつけ」は家庭の範疇です。

学校や塾は、「しつけ」を前提として成り立っていると考えています。

 

 

 

客観視できる立場にある私は、そんなことを日々思いながら過ごしています。

 

 

 

個性を伸ばしつつ、「しつけ」もちゃんとするのは誰しもが追い求めていて、しかしながら本当に難しいことです。

どこまでが「しつけ」なのか、その判断も現代では難しくなっています。

 

 

 

かわらないものがあるとすれば、今も昔も人間は秩序の中で自由を享受して生きていること、ですかね。

 

 

秩序の守り方は、家庭でどのような秩序の中で過ごしてきたか、です。

子どもから垣間見える秩序の世界をいつも楽しく見させてもらっています。

 

 

 

口には出しませんが、性格がねじ曲がった人間の、徒然なる人間観察の思いの垂れ流しでした。