身内ネタ(広義)

2023/10/16
ロゴ

お世話になっております、中村です。
早速ですが今回は
「知らない」「できない」「分からない」
について少し思うところがあったので、お話しようかと。

 

 


私はこれまで
「知らないことは罪ではない。知ろうとしないことが罪だ。」
というスタンスで生きていました。
昔、澤柳政太郎という方もおっしゃっていたようですね。
(その方は罪ではなく恥と表現していたそう。)

 

 


「できない」「分からない」においてもこれは同様で、
私の授業内ではこのことをよく伝えています。
“今”できないのは何も悪くない。
できないことに気付いたのに、対策をしないことが悪だ、
と。

 

 


これは今月の田中のブログにも通ずるものがありますね。
自身が「知らない」「できない」ことから目を逸らし
「知ったかぶる」「できる風を装う」ことでその後の義務から逃げるな、という話です。

 

 


塾には「できない」を「できる」にするために通っているはずで、
授業だけで理解が出来ないのであれば、
補習に来るなり追加で自主学習の時間をとるなりして行動を起こすのが
君たちに課された使命ではないか、と思うわけですよ。

 

 


そもそも、子供たち全員が
1度や2度の授業を聞くだけで理解ができる頭を持っているのなら、
塾なんてものは存在していないはずなんです。
そうではないから塾があり、そうではないから授業後の行動が重要になる。

 

 


「できる」ようになるための努力を怠っていたら
いつまでも出来ないままです。
そのためにはまず「できない」を受け入れることから始めてみましょう。

 

 

 

さて、今回のブログ、ここまでが前置きです。
ここ何年か、私の中で以前までと考えが変わってまいりました。
「知らないことを知れたのは得。それを知ろうとしないことは損。」
現在のスタンスはこれです。

 

 


大して変わらないじゃないか、とお思いになるかもしれませんが
私の中では大きく異なっています。

 

 


以前までは
「知らない」ことのデメリットに目を向けていたのに対し
最近は
「知ること」のメリットに目を向けるようになりました。

 

 

だから、“罪”ではなく、“損”なのです。
要するに、もったいないよねってことです。

 

 


このような考え方に変化したのは、日常の中の笑いのほとんどが
「常識」と「知識」を兼ね備えていて初めて起こるものだと
認識できたことが始まりでした。
以前ブログでもお話をしましたね。(こちら→ 何かを知らないということは )

 

 

 

これを一番狭い集団で行うのがいわゆる「身内ネタ」というやつです。
特定の集団の中でだけ流行る言い回しや語彙、
ハタから見たら「何が面白いの?」というようなことでも
本人たちにとっては面白くてたまらない、みたいな現象ありませんか?

 

 


常識と知識も、広義の身内ネタだと考えると良いです。
身内ネタを高尚な言葉に置き換えたものがいわゆる「教養」ってやつですね。
話し手と聞き手に、共通の知識があるからこそ笑いは起こる。
知らなければクスリともできません。
まあ「知ってる風」を装って愛想笑いならできるでしょうけど。

 

 


これを私はもったいないと感じるのです。
面白い、楽しいと思える機会をみすみすのがしているな、と。
そう感じてからは、知らないことを発見できたらラッキーと思い
それを詳しく調べないと気が済まない身体になっていました。

 

 


ところで、丸一塾の、特に松原本校の多くの生徒は
原田先生(ハヤト)と私が一緒になるとよく分からないことで盛り上がり、
変なところで笑っている姿を見たことがあるかと思うのですが、
これなんか完全に広義の身内ネタですね。

 

 


ちなみに原田先生(ハヤト)は僕より重症ですよ(笑)
彼はインプットの奴隷なので、常に何かを吸収し続けています。

 

 


でもそのおかげで私たちは
周りの誰よりも楽しい日常を送れている、と感じています。

 

 

知識・教養なんてものは、身につけなきゃいけないものではないです。
そういう意味で、知らないことは罪ではない。
でも知っていれば、日常の中で楽しいことが増えます。
知らないままでいることは、損だよね、って話です。

 

 


散らかってきたのでこのあたりで締めます。
ちなみに教養は知らなくてもいい、と言いましたが
マナー等は別だと思っています。
あれはお互いが気持ちよく過ごすためのものが多かったりするので。

 

 


それでは。