皮肉を笑顔で受け止めてきた人生、どうも田中です。
誉め言葉ではなく皮肉として使われるこの言葉、意味は「話すこともすることも達者なこと」です。もともとは八つの道具をうまく使いこなすというところからきています。八つの道具とは、大工などの職人さんが使う道具を指していて、「八挺」が語源だそうです。
現在では世渡りが上手な人間などに対して皮肉を込めて使われる言葉となっていますね。
嫉妬のまなざし、どうもありがとうございます!!!
「世渡り」というと大人の世界の言葉かと思いますが、実は赤ん坊のころからすでに「世渡り」は始まっています。
最近、友人たちの赤子や2~3歳ぐらいの爆発的に言葉をしゃべりだす時期の子どもと触れ合う機会が多くあったのですが、赤子にしても2~3歳児にしても「世渡り」をしています。
この世代の人間は、当たり前ですが1人で生きていくことはできません。1人で生きていけないがゆえに、他人の間をうまく「世渡り」することで生きています。それは言葉であったり、しぐさであったり、表情であったりと大人が行う世渡りと根本的には変わりありません。
違いがあるとすれば、そこに感じ取られてしまう「打算的なもの」が含まれているかどうかだけですね。
大人だと嫌われがちなこの「打算的」という考え方ですが、中高生はむしろこの「打算的」という部分を大いに学ぶべきだと思います。
しかもその打算がちゃんと大人に通用するかどうかをはかる練習の場でもあると、私は考えます。
時には失敗して小賢しい、世の中を舐めていると言われてしまうこともあるでしょう。
それでも大人に対して挑戦状を突きつけることは大きな糧となります。そして高いレベルで「打算的」であれるかどうかは、その後の人生を大きく変えることでしょう。
先日の赤子を見に行った際、友人たちとの間で出たあれやこれやの昔話は、どれもこれもふざけた打算的な話でした。
自らの行動にプラスマイナスをつけて積み重ねた結果、とんでもなくプラスの人間が塾から巣立ってほしいと思う、口八丁からのお話でしたとさ。